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鉄壁ならぬ石壁の守り!蒙古襲来から日本を守った「元寇防塁」

13世紀の初め,チンギス・ハンはアジアからヨーロッパにまたがる強大なモンゴル帝国を打ち立てました。その孫,5代皇帝フビライは,国名を元に新ため,日本に使者を送り,通交を求めました。しかし,鎌倉幕府はこれに応じなかったため,フビライは,1274年日本に攻め込み,博多湾西部に上陸,九州の御家人(武士)たちと激しい戦いを繰り広げました。この戦いで日本側は苦戦し,博多の町は大きな被害を受けました。これを「文永の役」と言います。

鎌倉幕府は,元の攻撃に備えて,九州各地の御家人に命じて,1276年3月から約半年間という急ピッチで,博多湾の海岸沿いに約20kmにわたる石垣を築かせました。この石垣のことを「元寇防塁」と言います。

1281年,元は再び日本に攻めてきました(「弘安の役」)。しかし,「元寇防塁」に阻まれ,博多の地に上陸することができませんでした。そして,長引く戦いの最中,暴風雨により,元の軍船の多くが沈没や損壊するなど大損害を被ったことから,退散したと言われています。

元との戦いの最前線であった福岡・博多には,今でも数多くの蒙古襲来に関係する史跡が残っています。ここでは,そんな日本を守った,いにしえの戦いの史跡を西から東にかけてドドッと紹介します!

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